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おしゃれもきれいになるための努力も、スタイルやお肌の手入れも、知識も何もかも、全部自分のため。
わたしの体はわたしの物。
わたしの心はわたしの物。
わたしのすべてはわたしの物。
誰かに捧げようとするな。
預けようとするな。
わたしの物なんだから、わたしの物を大事につかえ。
大事に手入れして、それを気に入ってくれる人を探せ。
絶対に明け渡すな。
わたしの物はわたしの物。
わたしの体はわたしの物。
わたしの心はわたしの物。
わたしのすべてはわたしの物。
誰かに捧げようとするな。
預けようとするな。
わたしの物なんだから、わたしの物を大事につかえ。
大事に手入れして、それを気に入ってくれる人を探せ。
絶対に明け渡すな。
わたしの物はわたしの物。
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誰だって自分の生活がある。
誰だって自分のことで忙しい。
ちょっとすれ違っただけのわたしがどんなに辛いと思っても、誰かに助けて欲しいと思っていても、みんな忙しい。
迷惑をかけたくなくて、一歩を踏み出すことが出来なくて、やっぱり今日も泣くのを堪える。
堪えきれずに溢れる涙を、なんでもないなんでもない、大丈夫と呪文のように唱えて拭う。
バカみたいに、理由もないのにこぼれ落ちる涙を誰に拭ってくれと云える?
誰だって忙しい。
きっとわたしのこの辛さなんて辛いうちに入らなくて、みんな忙しかったり辛かったり苦しかったりして、それでも笑顔で頑張ってるのに、どうしてわたしは笑えない?
きっとこんな苦しさは気のせいだから、考えないほうがいいんだと思っても、冷蔵庫に隙間がないだけでもう何をしていいのかわからない。
何から手を付ければいいのかはわかる。
でも、そのために気持ちを整えることが出来ない。
下拵えが出来ない。
でも、そんなの気のせいで、きっとわたしの甘え根性で、怠け癖で、立っていられないほどの脱力感も、起きていられないほどの眠気も、頭痛も吐き気も何もかもわたしの錯覚に違いない。
わたしが甘ったれだから、ナマケモノだから、体が仮病を使ってるんだ。
心が仮病を使ってるんだ。
だから、言い訳しないで頑張れ。
やりたくて頑張りたくて、書きたくて……。
誰だって自分のことで忙しい。
ちょっとすれ違っただけのわたしがどんなに辛いと思っても、誰かに助けて欲しいと思っていても、みんな忙しい。
迷惑をかけたくなくて、一歩を踏み出すことが出来なくて、やっぱり今日も泣くのを堪える。
堪えきれずに溢れる涙を、なんでもないなんでもない、大丈夫と呪文のように唱えて拭う。
バカみたいに、理由もないのにこぼれ落ちる涙を誰に拭ってくれと云える?
誰だって忙しい。
きっとわたしのこの辛さなんて辛いうちに入らなくて、みんな忙しかったり辛かったり苦しかったりして、それでも笑顔で頑張ってるのに、どうしてわたしは笑えない?
きっとこんな苦しさは気のせいだから、考えないほうがいいんだと思っても、冷蔵庫に隙間がないだけでもう何をしていいのかわからない。
何から手を付ければいいのかはわかる。
でも、そのために気持ちを整えることが出来ない。
下拵えが出来ない。
でも、そんなの気のせいで、きっとわたしの甘え根性で、怠け癖で、立っていられないほどの脱力感も、起きていられないほどの眠気も、頭痛も吐き気も何もかもわたしの錯覚に違いない。
わたしが甘ったれだから、ナマケモノだから、体が仮病を使ってるんだ。
心が仮病を使ってるんだ。
だから、言い訳しないで頑張れ。
やりたくて頑張りたくて、書きたくて……。
もういい加減忘れたいと思いながら、忘れられない奴のことをいまだに考える。
奴とどうしてうまく行かなくなったのか。
もちろん、わたしの態度にも問題があったし、奴の態度にもやはり問題があった。
だが、結局奴は長い付き合いを望んでなかったんだろう。
その場だけのジャンル友が欲しかったんじゃないのか。
だけど、奴と仲良くなったものはみんな長い付き合いを望んだ。
それに相応しい態度だった。
奴もそれに答えていると思ったが、ほかの様々な価値観が違っていた奴はこの点でもやはり周囲とは違う価値観だったんだろう。
別に、奴がバイだろうとヘテロだろうと、 そんなことは問題ではないと思ったが、結局、そこにすべてが起因していた気がする。
奴の価値観とわれわれの価値観の違いは、それだったんじゃないか。
人間関係の認識において男女差のない関係は希だ。
普通は恋愛対象とそうでない性別のカテゴリーごとに知り合いと友達とがあり、恋人はそれとはまた別のカテゴリーとして存在する。
だが奴はすべての人間をひっくるめての認識だったから、他人と違う価値観になり、それを理解できないわれわれは奴とはうまくやっていけないと云うことになる。
更に、奴はことの最初に自分が他人の中に土足で踏み込んでいることに気付かないし、われわれに気付かせない。
そのせいで奴が永続的な友情を求めていると勘違いしてしまう。
わたしも悪かった。
が、奴も悪かった。
わたしだけが加害者のような顔をされるのはいまだに心外でならない。
奴とどうしてうまく行かなくなったのか。
もちろん、わたしの態度にも問題があったし、奴の態度にもやはり問題があった。
だが、結局奴は長い付き合いを望んでなかったんだろう。
その場だけのジャンル友が欲しかったんじゃないのか。
だけど、奴と仲良くなったものはみんな長い付き合いを望んだ。
それに相応しい態度だった。
奴もそれに答えていると思ったが、ほかの様々な価値観が違っていた奴はこの点でもやはり周囲とは違う価値観だったんだろう。
別に、奴がバイだろうとヘテロだろうと、 そんなことは問題ではないと思ったが、結局、そこにすべてが起因していた気がする。
奴の価値観とわれわれの価値観の違いは、それだったんじゃないか。
人間関係の認識において男女差のない関係は希だ。
普通は恋愛対象とそうでない性別のカテゴリーごとに知り合いと友達とがあり、恋人はそれとはまた別のカテゴリーとして存在する。
だが奴はすべての人間をひっくるめての認識だったから、他人と違う価値観になり、それを理解できないわれわれは奴とはうまくやっていけないと云うことになる。
更に、奴はことの最初に自分が他人の中に土足で踏み込んでいることに気付かないし、われわれに気付かせない。
そのせいで奴が永続的な友情を求めていると勘違いしてしまう。
わたしも悪かった。
が、奴も悪かった。
わたしだけが加害者のような顔をされるのはいまだに心外でならない。
自己嫌悪することがあって、落ち込んで、じたばたして、どうにか浮上しようと何気なく検索してみた。
そのものずばり「自己嫌悪」で。
そしたら、自己嫌悪というのは現実逃避する自己の弱さであり、要するに一種の甘えであり、幼児性であるというような記述があった。
ありのままの自分を受け入れられない甘ったれだと。
自己嫌悪する人はほかの人も自己嫌悪するものだと思うものだが、実際にはそんなに自己嫌悪に陥る人は多くないそうだ。
つまり、自分をありのままに受け入れ、自分を取り巻く現実をありのままに受容できる人はそもそも嫌悪する必要がないわけだ。
その文章を読んでいて、頭に浮かんだのは我が姉である。
すごく楽に、自由に、人生を謳歌している姉。
が、彼女の人生を解剖してみるとそんなに恵まれてるわけじゃない。
それこそわたし以上に波瀾万丈、山あり谷あり、むしろ谷のほうが多いんじゃね?と云うような人生を送ってきて、しかし、彼女は今、階下で近代文豪の半生を描いたドキュメント番組を観てあははと笑っている。
自分の息子と一緒になってお笑いのアホなネタを再現してぎゃははと笑う。
なんというか、すごく自由だ。
自由というか軽やかだ。
自己嫌悪しないためにどうこうでなく、彼女は自分自身を否定するという発想がない。
考えてみれば普通の人はそんな発想あるわけない。
突き詰めればそれは死に直結する発想だからだ。
自己を肯定したいと常々思っている。
自分を好きになりたいと。
だが、なかなかうまく行かなくて、いつも自分を嫌いになるようなことばっかり見つけてしまっていた。
自己嫌悪しないで済むように生きていくのは難しいかもしれない。
でも、少なくともその結果や過程を他人に持ち込まないことは出来るはずだ。
自己嫌悪したとしても、そのことを他人に悟らせないことだ。
もう二度と、他人を傷付けないで済むように。
そのものずばり「自己嫌悪」で。
そしたら、自己嫌悪というのは現実逃避する自己の弱さであり、要するに一種の甘えであり、幼児性であるというような記述があった。
ありのままの自分を受け入れられない甘ったれだと。
自己嫌悪する人はほかの人も自己嫌悪するものだと思うものだが、実際にはそんなに自己嫌悪に陥る人は多くないそうだ。
つまり、自分をありのままに受け入れ、自分を取り巻く現実をありのままに受容できる人はそもそも嫌悪する必要がないわけだ。
その文章を読んでいて、頭に浮かんだのは我が姉である。
すごく楽に、自由に、人生を謳歌している姉。
が、彼女の人生を解剖してみるとそんなに恵まれてるわけじゃない。
それこそわたし以上に波瀾万丈、山あり谷あり、むしろ谷のほうが多いんじゃね?と云うような人生を送ってきて、しかし、彼女は今、階下で近代文豪の半生を描いたドキュメント番組を観てあははと笑っている。
自分の息子と一緒になってお笑いのアホなネタを再現してぎゃははと笑う。
なんというか、すごく自由だ。
自由というか軽やかだ。
自己嫌悪しないためにどうこうでなく、彼女は自分自身を否定するという発想がない。
考えてみれば普通の人はそんな発想あるわけない。
突き詰めればそれは死に直結する発想だからだ。
自己を肯定したいと常々思っている。
自分を好きになりたいと。
だが、なかなかうまく行かなくて、いつも自分を嫌いになるようなことばっかり見つけてしまっていた。
自己嫌悪しないで済むように生きていくのは難しいかもしれない。
でも、少なくともその結果や過程を他人に持ち込まないことは出来るはずだ。
自己嫌悪したとしても、そのことを他人に悟らせないことだ。
もう二度と、他人を傷付けないで済むように。
生きることや己の存在に自信を持っている存在を見ると、泣きたくなるほど羨ましくなる。
わたしは自分の存在に自信がない。
借り物の人生で、何一つ成せない無駄な存在としか思えない。
青臭い精神論だという自覚があるので、誰にも云えないまま、ただ抱え込むばかり。
己の存在に自信があるかないか、そんなことを斟酌したことのない存在が羨ましい。
普通の人は己の存在に疑義など差し挟まないものだ。
そうでありたい。
生きる上でなぜ敢えて苦しいほうへ行こうとするのか。
それで崇高な何かを成せるというのなら意義もあろうに、そんなことを目指したことなどないのだ。
ただ、生きていること自体が己の存在が、借り物であるというこの拭いがたい違和感を拭いたいだけなのだ。
楽に息をしたい。
息をすることに罪悪感を感じずに生きたい。
自分のすることも、考えも、存在すらも、家族の負担でしかないと思うと辛いばかりだ。
わたしは自分の存在に自信がない。
借り物の人生で、何一つ成せない無駄な存在としか思えない。
青臭い精神論だという自覚があるので、誰にも云えないまま、ただ抱え込むばかり。
己の存在に自信があるかないか、そんなことを斟酌したことのない存在が羨ましい。
普通の人は己の存在に疑義など差し挟まないものだ。
そうでありたい。
生きる上でなぜ敢えて苦しいほうへ行こうとするのか。
それで崇高な何かを成せるというのなら意義もあろうに、そんなことを目指したことなどないのだ。
ただ、生きていること自体が己の存在が、借り物であるというこの拭いがたい違和感を拭いたいだけなのだ。
楽に息をしたい。
息をすることに罪悪感を感じずに生きたい。
自分のすることも、考えも、存在すらも、家族の負担でしかないと思うと辛いばかりだ。
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